連載
「宇多喜代子の本棚」[2]
2020.3.1
『川端茅舎句集』と松本たかし「茅舎研究」 |
昨夏猛暑に閉口しつつ、子規全集の中の一巻「蕪村句集講義」を通読した。明治三十一年一月十五日から毎月一回、高浜虚子、河東碧梧桐、内藤嗚雪などが子規宅に集まり、当時まだ周知されていなかった蕪村句集の句を一句一句読み合ってゆくという座の記録で、子規没後の明治三十六年九月まで続けられ、当時の「ホトトギス」に連載されたものである。
これと同じ方法で続けられたのが、松本たかしの「茅舎研究」で、開始は川端茅舎(ぼうしゃ)没後七年を経た昭和二十一年一月十一日、場所は島村茂雄居で、この記録もたかしの主宰した「笛」に長く連載された。
茅舎研究を始めたきっかけを、第一回の集まりの冒頭で松本たかしがこう発言している。
「川端茅舎は人としても芸術家としても非常に傑出した存在であることは、我々はよく承知してゐるけれども、死後七年の歳月を経過した現在では、彼の価値を実際に知ってゐるもの以外一般からはその存在はいつか忘れられようとしてゐる。また若い人や初学の人々などの大部分は茅舎について、殆ど知る処がなく、従つて関心を持ち得ないといふのが現状の様に思はれる」と。
茅舎が亡くなったのは昭和十六年七月十七日。戦争が始まったのがその年の十二月八日である。たかしは、茅舎への関心が薄れたわけを「未曾有の戦争を中心にして、その前後にまたがる時期があたつているので茅舎のことを顧みる余裕がなかつたことが原因になつてゐるかもしれない」とも語っている。
川端茅舎という稀有な力をもって俳句を残した俳人は易々と忘れられるものではないぞ、当時の人たちのそんな意気を残しているのが、「笛」の「茅舎研究」で、この全文は『松本たかし全集』(Ⅵ)に収録されている。
回により出席者の顔触れは異なるが、たかしの他、皆吉爽雨、岩見静々、中村草田男、小熊ときを、吉野秀雄、福田蓼汀、奈良林秋羅、深川正一郎、上村占魚、京極杞陽、佐野ゝ石、太田嗟、山下武平。この人たちがかなり自由に、茅舎の句についてさまざまな角度から「読み」を進めているのだ。
子規の「蕪村句集講義」もおもしろかったが、この「笛」の「茅舎研究」もおもしろい。
たとえば、茅舎の昭和八年の句、
春暁や音もたてずに牡丹雪
について、出席者全員が日野草城の、
春暁や人こそ知らね木々の雨
を思い出し、「等類」ではないかということについてまことに丁寧に意見を述べ合っている。「音もたてずに」と「人こそ知らね」また「牡丹雪」と「木々の雨」。この二つの等類点を論じ、結論としては先行草城の句がある以上、後発茅舎の句は「割引」するのが妥当だろうということになっているのだが、たかしが「茅舎にもかかる場合があつたといふことで、問題にして見るのも全然無駄でもないと思ひます」と類想句についての一同の意見を忌憚なく引き出している。
私が川端茅舎の句に触れた最初は、初学時に句座の先輩から譲り受けた「現代俳句」創刊号(昭和21年9月発行・石田波郷編集)に特集されていた「句集『華厳』抄」であった。当然ながら、私には茅舎世界への理解が及ばず、『華厳』の昭和八年から十四年までの句を、私が生まれた昭和十年頃にこんな難しい句があったのだと思うだけであった。滑稽とか軽みとかとはかかわりのない、それでもなんだか背筋がシャンとするような直立の力があると思うだけで深入りを封じた。
ところが、この「現代俳句」は、巻頭に渡邊水巴から山口誓子、日野草城以下、二十七人の昭和の俳句を牽引した人たちの近作五句をずらりと置くという豪華な頁で始まり、これが敗戦直後の俳人たちの名を知る私のおおきなテキストとなった。因みに、女性では橋本多佳子、石橋秀野、鈴木しづ子、中村汀女の四人のみである。
ここに中村草田男の「此雑誌に茅舎論を需められつゝも、多忙のために果たし得ず。その償ひといふにはあらざれども」の前書きで、
青梅や江戸ッ児茅舎の頭(づ)はいがぐり 草田男
があり、この句から、あの難しい句をつくる茅舎という人は江戸っ子でいがぐり頭だったという情報を得た。
それからしばらくして、当時、俳誌「琴座」の編集をやっていた俳句仲間の金子晋に同道してしばしば永田耕衣宅に出入りするようになった。この耕衣の書斎田荷軒の入口と耕衣先生の座り机の横の柱に茅舎の短冊が掛けてあった。訪問のたびにこれを見る。その頃からか、『定本・川端茅舎句集』(昭和21年・養徳社)を繰るようになり、さらにさらに日を経て古書店で『川端茅舎句集』(昭和32年・角川文庫)を入手し、これがわが必携の書となった。文庫本でありながら、これには俳句九八八句と茅舎の散文「花鳥巡禮」も入っており、いわば茅舎全集ともいえる体をなしている。
金剛の露ひとつぶや石の上
明暗を重ねて月の芭蕉かな
森を出て花嫁来るよ月の道
蚯蚓鳴く六波羅蜜寺しんのやみ
生馬の身を大根でうづめけり
草摘の負へる子石になりにけり
蛙の目越えて漣又さゞなみ
こまごまと白き歯並や桜鯛
金輪際わりこむ婆や迎鐘
朴落葉光琳笹を打ちにけり
咳き込めば我火の玉のごとくなり
天が下朴の花咲く下に臥す
朴の花白き心印青天に
朴散華即ちしれぬ行方かな
私が「これだ」と思ったのが、この句集の解説を書いた松本たかしが、茅舎の句を「凄み」ととらえているところであった。この「茅舎の句には凄みがある」という理解に触れたとき、初学時から心中に蹲っていた川端茅舎の句への思いに明りが見え始めたようであった。いまもって幼稚だと自認しつつ、いまもこの文庫本『川端茅舎句集』と松本たかし全集の「茅舎研究」を飽くことなく繰っている。