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日経新聞「回顧2020 俳句」(2020.12.26)で、池田澄子句集『此処』、神野紗希句集『すみれそよぐ』、今井聖句集『九月の明るい坂』、五味真穂句集『湛ふるもの』、竹村翠苑句集『豊かなる人生』が紹介されました。評者は俳人の関悦史さんです。

現実追従を超えた表現台頭 回顧2020 俳句
「若手が見せる新たな傾向」 関悦史
(1)エレメンツ 鴇田智哉著(素粒社・1700円)
(2)草魂 宮坂静生著(KADOKAWA・2700円)
(3)すみれそよぐ 神野紗希著(朔出版・2000円)

鴇田智哉『エレメンツ』は今年特筆すべき句集というにとどまらない事件性を持つ。非実体的ながら、見かけの現実の先にうごめくもののリアルさを引き出す作風を完成させていた鴇田はその先を探る実験に踏み出し、在る物を表象するのではなく、草や花のように生えている句を目指す地平に至った。〈海胆のゐる部屋に時計が鳴る仕掛〉〈オルガンの奥は相撲をするせかい〉等の幻怪さは、川柳的ナンセンスとも形骸化した超現実主義や神秘主義とも文脈を異にする。超現実主義の祖アンドレ・ブルトンに読ませたい句集。
こうした現実追従にとどまらない傾向は、若手の一部においては審美性と叙情性が強まる形であらわれる。今年の角川俳句賞を史上最年少で受賞した岩田奎、田中裕明賞の生駒大祐に加え、『式日』の安里琉太もその一人。〈夕立のみるみる濡(ぬ)らす乾電池〉〈くらがりにあらあらしきは雛(ひな)あられ〉等、花鳥諷詠(かちょうふうえい)的美意識の線上にはあるが、沈んだ心象を通して社会の衰滅をも透かし見せる。
それに対して新興・前衛俳句系の年長者たちは、審美的ながらも対象と霊性で通じあう様式を練り上げ、社会性も人生の記憶のなかに溶かし込む。
〈枯れ急ぐ山ふところの観覧車〉の澤好摩『返照』、〈手を入れて奈落まさぐる清水かな〉の秦夕美『さよならさんかく』等である。ただし〈三月の海が薄目を開けるとき〉の渡辺誠一郎『赫赫』は、象徴表現に深く思念を落とし込み、災厄と対峙する。〈三月寒し行ったことなくもう無い町〉の池田澄子『此処』は全体に悲傷の色が濃く、鍛えられた口語調が必死に支えている風情。
口語調を多用する作風でも神野紗希『すみれそよぐ』では、集中的に詠まれる出産・育児と、健やかで明快なスタイルとが出会う。〈春光に真っ直ぐ射抜かれて破水〉〈綿虫や子の眼球の仄青く〉等、不安や緊張は句と外部との接触面にひりひりと置かれているのだ。
人生を扱いながら北大路翼『見えない傷』は〈社に戻るソフトクリーム髭(ひげ)につけ〉〈口淫も手首切るのも照れながら〉とバサラ的な諧謔(かいぎゃく)と含羞に哀しみを漂わせる。
その北大路の師、今井聖の『九月の明るい坂』は感傷やロマン性が写実と嚙みあい、流れない表現を目指す。〈海に出る運動会を二つ見て〉〈ぶらんこのねぢれ戻らず父帰らず〉
中西夕紀『くれなゐ』も、人生を生活空間の記憶とともに振り返るが〈海側を灯してをりぬ夏館〉〈暗がりを子のよろこべる月見かな〉等の人懐かしい句もやはり描線が明確。
橋本直『符籙』はどこかアイロニカルな視線があり、そこから含羞と情の厚さがにじみ出る。〈セーターの女の形して残る〉
篠崎央子『火の貌』は今年亡くなった鍵和田秞子門下ならではの生まじめな句風が〈猪(いのしし)が来てゐる音楽の時間〉等、雑多な句材を取り込んで豊か。
五味真穂『湛ふるもの』もひたむきで〈竹節虫(ななふし)や万物かぎりなく澄める〉と自然から聖性を引き出す。
その師、宮坂静生の『草魂』は人生、社会、自然がぎしぎしとせめぎ合うなかから様々な二物衝撃が生じるが、その全てを包摂し風格あり。〈白鳥を食べしことなど捕虜の夏〉〈秋の蛇地球流体感に充ち〉
『豊かなる人生』の竹村翠苑は98歳現役農家。〈電気柵に猿の悲鳴や南瓜(かぼちゃ)無事〉等の即物的な果断さが痛快。

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