お知らせ

2020年1月28日

2020年は『大和ことば』から

今年に入って最初の句集が出来上がりました。
岡崎桂子さんの句集『大和ことば』。


 

岡崎桂子さんといえば、今瀬剛一主宰「対岸」の主要同人で、
「論の書ける作家は強い」と今瀬氏が語る通り、「対岸」きっての論客。
目下、「対岸」に「今瀬剛一の世界」を連載中です。

意外なことに(というのもヘンですが)、加藤楸邨が好きで、50代の頃には『真実感合への軌跡 加藤楸邨序論』という評論集も書かれています。

そんな桂子さんとは、昨年の俳人協会賞授賞式でたまたま席が隣り合わせとなり、
久しぶりにお互いの近況などを交わしたのがきっかけで第四句集を作らせていただくことになりました。

水戸京成ホテルでの最初の打ち合わせは、私にとって忘れられない一日・・・
というのも、『大和ことば』の草稿を手に本題へ、、、と思っていたら、
句集の話はそっちのけで、桂子さん、ご自身の来し方を赤裸々に語ってくださったのでした。

娘さんを出産後、ご主人が他界され、お母さまと必死で子育てされた日々のこと。
そのお母さまを、東日本大震災の直後に亡くされた時のこと。
生まれ変わりのように授かったお孫さんのこと。
親が子へ命をつなぎ育てることの苛酷さと強さ・・・母歴の浅い私にとって、身につまされることばかり。でもなぜこんな話を?

「これまで、自分がどういう人生を生きてきたかを知った上で句集を作ってほしいと思ったので」と桂子さん。その思いにまっすぐに向き合いたいと思いました。

かつて総合誌の編集長をしていた頃、
編集部では雑誌と並行して年間数十冊の句集を刊行していて、その中には、
例えばあとがきに、私への謝辞を述べてくださっている方もたくさんいました。

けれどその実、著者にお会いすることもなく、
ゲラの一行に目を通せていないこともしばしばで・・・
編集長なんてそんなもの、とは割り切れない自分がいて、いつも心のどこかがモヤモヤしていました。

こうして一対一で、著者と、作品と向き合えるこの距離感が、今の私にはちょうどいい。
相手が真剣に投げてくる直球を、まっすぐに受け止められる自分でいたい。 桂子さんの『大和ことば』はそんなことを改めて感じさせてくれた一冊でした。

「私はこの頃、季節の移り変わりとともに無心に装ってゆく自然の美しさに触れて、心安らぐことが多い。ありのままの自然に包まれている安らぎである。そして、この自然との対話をそのまま言葉に表したいと思っている」(あとがきより)

『大和ことば』は平成21年から令和元年までの作品をまとめた第四句集。

前作『梓弓』から10年、言葉と自分との間に隙間を入れまいとする姿勢が随所から見えてきます。

百千鳥神話の島に目覚めけり

母へ一匙我れに一匙氷菓食ぶ

晩年の父白蚊帳を好みけり

ひとゆらぎして凍瀧のゆるみけり
銀漢の裾命名を待つ赤子
手をつなぎたし春風の立雛
猫の恋今日どれほどを歩きしか

虎落笛家の中にも風の音

飛花落花大和ことばのとび散れり

文字見ゆるほどの明るさ桐一葉

こつと叩けばこつと返してかりんの実
あるだけの花つけて待つ夜明けなり

対象を「見つめる」のではなく、対象と自らが「一体化する」とは今瀬剛一氏の言葉。桂子さんはずっと師の言葉の意味を追い続けている。これからも言葉を信じて俳句を詠まれることと思います。桂子さん、『大和ことば』のご上梓、おめでとうございます。

 

 

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